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何でも挑戦してみよう!(実証)

 

 

 

 

お久しぶりです。

私個人のFacebookページをフォローしてくださっている方々は、私がこの度、マンガファイテニスクラブの女子ダブルスでチャンピオンになったことはご存知かと思います。ここに至るまでは長い道のりでしたが、毎回毎回、留学生に「何でも挑戦してみよう」と言ってきた手前、テニスについて少し書いてみようと思いました。

私は中学時代に軟式テニスを3年間していましたが、高校では「帰宅部」で、大学一年目に硬式に転向しました。でも、結局その転向がうまく行かなかったのとその他の事情もあって二年目に入ってすぐに辞めました。

それからニュージーランドに移り、結婚して子供が生まれ、チョコレート工場で働き始めたもののすぐに両手首の腱に裂傷が起きて辞め、一年ほど何もできない状態でした。それが治ってからも手首を使うのが怖かったのですが、少しずつ翻訳の仕事が増えて来たこともあって全く運動をしない日々を過ごしていました。

その間に、ラグビープレーヤーだった夫は右肩に怪我をし、顧客の勧めでテニスを始めました。何をやってもできる夫は、テニスも短期間で上達し、いつの間にかトッププレーヤーになっていました。

ところが、数年前のクラブチャンピオンシップで男女混合ダブルスの相手が見つからず、急遽、私が出ることになったのです。それがニュージーランドで最初のテニスでした。。。「男のほうじゃなくて女を狙え」と夫に言われてもどうすればそっちに打てるのかわからないし、体力のない私は1ゲーム終わった時点でゲロゲロ。ボロ負けで、私には最低のランキングが付けられました。

それがある日、女子テニスに何度も誘われたので渋々行ったのをきっかけに少しずつ変わって来ました。いつの間にか、セカンドボスになっていましたね(笑)

マンガファイテニスクラブの女子シングルスのチャンピオンは常にRで、その下は常にNでした。RとNは女子ダブルスでもペアを組み、常にチャンピオンだったのですが、その二人を破ったのがJとLでした。

今回NはJと組むことにし、Rはシングルスで対戦したCと組むという話だったので、何となく自分もそのレベルに近づいているのを実感していた私はLと組むことに。ところが、私が日本に行っている間にLから出られなくなったと連絡があったので、代わりを見つけるのも面倒だし、だったら出なくてもいいやと思っていたのです。

でも、木曜日の夕方にメンバーが足りなくて呼んだDawnが、帰り際に「私と組んで女子ダブルスに出てくれない?」と。これまでほとんど一緒にプレーしたことはないし、歴代チャンピオンのNとJに対抗できるとは思わなかったのですが、去年の半ばに入って来たDawnはそんなことは知りません。他に彼女のパートナーになってくれそうな人もいないだろうし、「ダメ元で出ればいい運動になるな」と思ってOKしました。

火曜日のボウリングで、テニスクラブのメンバーOに聞いたところ、「あの二人相手に自分が出ても勝てるわけがないから出ない」と言ってました。ダメ元でトライしてみようという男性陣と違って、女性陣は無理かどうかをまず見極めて諦めてしまうようで、当日、私たちが到着した時にはNとJが練習している以外に女性プレーヤーは見当たらず、「第一試合=決勝戦」となったのです。

最初のゲームを6-4で勝ち、「もしかしたら」と思ったものの、相手は強く、第二ゲームを6-3で落としてしまい、タイブレークに。11-9でかろうじて勝ちました。本当に長い道のりでした!

マンガファイの人口は急激に増えており、娘たちが小学校に入学した頃は「全校生が200人になれば。。。」という話をしていたのに、今や500人ですので、その分、テニスクラブのメンバーも増えており、上手な人も大勢います。その中で自分が優勝できたということは、私の中でとても大きなこと。

一部の方はご存知かと思いますが、私は生まれつきの難聴で、しかも数年前に左目が難病になり、無料で白内障の手術を受けたものの、これはそうしないと経過観察ができないためで、右目が見えなくなったら文字も読むことができなくなります。しかも、膝には軟骨がほとんどなく、アキレス腱も痛みます。テニスを再開してから、テニス肘になり、半年以上動けなくなりましたし。でも、それでも挑戦し続けた結果がこれです。

来年はもっと大変になるかと思いますけど、今はテニスも生活も楽しくて仕方がありません。来年は私たちに挑戦してくるペアがいるかと思うと今からドキドキですが、一度だけでもチャンピオンになれたというだけで大満足でもあります。

日々の努力が実を結ぶこともあります。英語の学習も継続することが大切だと考えます。思い切って留学すればそのきっかけができるかも知れません。私が応援します!