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東日本大震災

15日の朝、予定通り帰国しました。

私の実家は福島県富岡町にあります。これまで注目されることなどなかった東北の田舎町ですが、福島第一と第二の二つの原子力発電所の10km圏内にあるため、毎日のように名前が放送されていた町の一つです。

なので、「里帰り」と言っても実家に帰れたわけではなく、妹一家が避難後に移った借家に泊まりました。これから、そこで見て聞いたことを書いて行きたいと思います。

妹一家は三春町の体育館に避難してほぼ1ヶ月後、郡山市に家を借りました。6畳2間に12畳のリビング、洋式トイレがお風呂と別になったごく普通の一軒家です。町や政府の対応を待ち切れず、敷金や礼金を自分たちで払い、更に小さめですが冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、炊飯器、湯沸しポットを揃え、家具はリビングにあるテーブル2つに長男の勉強用に買った小さなテーブルがあるだけ。避難所でもらった物資がダンボールに入ったまま並べられていました。その中で4人の子供たちが文句も言わず床に紙を広げて絵を描いたりしていました。床に直接敷布団を敷いて寝たので、私は腰やら脚やら痛くて大変でした。最初は翻訳の仕事もする予定でしたが、何時間も床に座っているのは不可能だと判断し、妹と買い物に出たり、片付けを手伝ったりして少しでも動くようにしていました。

妹一家は全員が一緒ですし、だんなに仕事があるのでいい方です。だんなは大学の講師で、元々実家から郡山まで車で通勤していましたので、通勤距離も一気に短くなり、お昼も帰って来ますし、ゆっくりみんなで食事ができる時間には家に戻ることができるようになりました。

家賃などは、「1ヶ月6万円以下」の家賃に該当したので、町に借り上げしてもらう申請をしたばかりです。そのうちもらえるかも知れませんが、このような状態なので、今でも郡山のビックパレットには1000人以上の避難者が生活しています。

富岡町の臨時役場がビックパレットにあり、子供たちがそこからまとまって通学をするので毎日のように私たちもそこに行っていました。懐かしい顔がそこら中にあり、会う人ごとに母の病状を聞かれました。

廊下でもエレベーターの前でもどこでもビニールシートを敷いて人がゴロゴロしています。今は、プライバシーのためとダンボールの仕切りが立てられ、カーテンがされているところもありました。「何もすることがなくてね、それが一番辛いかな」とみんな言っていました。「食べて寝るしかない」のだそうです。

仕事を失った人たちはやっと仕事を見つけたと思ったら、子供の小学校がとんでもないところに決まったり、借り上げアパートが他の町だったりして、家族がバラバラになってしまっている人もいます。私のいとこ一家も長男の学校が埼玉県に決まったので全員で埼玉に移った後、息子が失業はしなかったのですが、会社の大阪支店に配属されることになり、孫たちは母親と一緒に埼玉、いとこたちは大都市での生活でストレスが溜まってしまい、郡山にアパートを借りることになったようです。

失業してしまった人をどうするかも大きな問題で、富岡町の臨時職員募集に元自営業のお父さんたちが殺到していました。でも、3ヶ月の臨時なので3ヵ月後にはまた職探しをしなければなりませんし、ビックパレットも7月いっぱいで出なければならないようなことを言っていました。(ビックパレットにも修理が必要な部分がたくさんありますから。)

一番仲がよかったいとこたちは磐梯熱海にいました。でも、もうすぐいわき市に移ります。息子が失業したので仕事を探さなければならないのですが、車が2台しかないのでいとこが夫婦で使うこともできず、大変です。だんなは警戒区域になる直前に自宅に戻ったら、二重ロックした玄関の扉の真ん中の鍵が開かなくなってしまっていたと言っていました。地震でズレてしまったのでしょう。一時帰宅できるようになったらどうやって家に入るかが問題になります。その時、飼っていた猫を連れて来て、今、猫ちゃんは車の中で生活しています。

妹たちの犬も、保護された犬たちの写真の中に、それらしき犬を見つけたのでこれから問い合わせる予定です。生きていてくれたらうれしいですけど。。。

左の写真は自衛隊のお風呂のサービスです。今回、自衛隊の方々は素晴らしい活動をしてくださっています。パトカーもいろいろな県の名前が書いてあり、全国から警察官の方々が来てくださっているのが分かりました。また、全国からボランティアの方々が来てくださり、おいしいラーメンもごちそうになりました。みなさんのお陰で物資は十分に行き届いています。

でも、アパートを借りても電化製品を買うお金がなくて、結局避難所に戻って生活しているご家族もありましたし、家具は物資として届きません。赤十字を通じて申請すると6点か7点までの電化製品がもらえるというような話がありました。これは募金でいただいたお金で賄われるものなのでしょうね。

ただ、何でも遅いんです。もうほとんどの人がアパートを借りたり、他県に出てしまったりしています。だから、被災者の中では「居残った方が得」とか「自分たちだってギリギリの状態なのに」という不満が漏れています。

妹一家もやっと県と町から35万円が入りました。東電の100万円も手続きは済ませました。母の手術代などは避難所で倒れたので国から出ますが、現在福島の病院にいるので見舞うのにかかるガソリン代も大変です。(高速代が無料の対象にならないので一般道路を使って行っています。)2年前に建てたばかりの家のローンがどうなるのかなど課題は山積みです。