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母の状態

母は結局、水頭症を起こしてしまい、4月19日にシャント術を受けました。シャントという管を脳室に入れ、腹腔内にうまく流れていない髄液を流すというものでした。

最初に会ったのは24日の日曜日。お昼を一緒にするというので、車椅子に乗せてもらい、テーブルと椅子のある部屋に行きました。母は両目が左上を向き、表情も固くて、正直、目を合わせるのが怖いほどでした。両手がうまく使えず妹に食べさせてもらい、何度も食器の蓋を閉めたり開けたり場所を変えたり。母に一生懸命に話しかけている妹の長男(13歳)を見ているうちに私もだんだん話ができるようになりましたが、それでも母の変わり様はショックで、病室に戻る時に涙が出て止まらなくなってしまいました。

妹の子供たちは長男の下三人女の子で合計4人。小学1年生になったばかりの末っ子以外は、病室に戻ったら、一人がコップ、一人がバケツ、一人がタオルを持って、「ばあちゃん、こっち」「あ、そっちじゃないよ、こっちだよ」と声を掛けながらみんなで母に歯磨きをさせていました。女の子三人はそのうち飽きていましたが、長男はずっと母のベッドの横で母に話しかけていました。車椅子を押すのも慣れていて、母が倒れた時には一番泣いていたのにいつの間にか頼もしくなっていました。

「今はあんな風だけど、リハビリが始まったら見る見るうちによくなるよ」という妹のことばにウソはなく、その3日後に行った時には、他の患者さんたちと食事中でしたが、母に付き添いはいませんでした。ことばははっきりしなかったものの、何度も笑い、パジャマのヒモを自分で蝶結びにしていました。

それで安心したのですが、主治医から電話があり、再手術の必要があると言われました。脳室が拡大したままなのでどこか詰まっていると言うのです。それで、11日に、詰まっていた弁を交換し、新しいところに穴を開ける手術を受けました。その日は個室に戻った時には両目を開け、先生にも返事できる状態でしたので安心して家に戻りました。

その2日後、帰国前日の金曜日に会いに行った時にはベッドに座り、カーテンの陰からこちらを見て笑っていました。顔も昔の母の顔でした。笑顔も引きつったところはなく、いつもの笑顔で、リハビリだとポリ袋を丸めていました。

ただ、意識障害はまだあります。人の名前は覚えていますが、他界された方の名前だったりします。飾ってある写真の子供たちが私の子供たちと妹の子供たちだというのは分かっていますが、主治医の話ですと1週間前のことは覚えていなかったけど、その日が手術日だというのは分かっていたということでした。

母がこのような状態になってしまったのは残念ですが、会いに行ってよかったです。これからリハビリをし、新しいお友達を作ってほしいものです。

そうそう、母のお隣の方はリハビリのお兄ちゃんに「今日、お迎えが来るんですよ」と言ってました。「どなたがいらっしゃるんですか?」「石原裕次郎」。。。みんなで大笑いでした。