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翻訳があるのは何のため?

現在、98ページ、36,541語の論文翻訳が入っていて、毎日ずっとコンピュータを前に仕事をしています。

そんな中でちょっと翻訳について考えさせられることがありました。

1月末に納品した日英翻訳にクレームがついたのです。「ジャパニーズイングリッシュだ」というのと「論文の英語ではない」という点でした。これは夫に文句を言ってやろうと思い、とりあえずどの原稿だったかをチェックしたら、おや?普段は夫に頼んでいる校正を、論文ということで元新聞記者のCにお金を払ってしてもらったものだったんです。

しかもですよ、最初にお客様から指摘された部分は元々英語で渡された部分で、つまり、その単語を選んだのは私ではなくお客様でした。他に納得が行かない部分もあったのですが、とりあえず、私はCがした仕事なのでCに持って行き、直してもらうことにしました。

Cも驚いてました。日本語に関する知識が一切ない自分の英語がじいさんになった今「ジャパニーズイングリッシュ」と言われたことで、「勉強したら日本語ができるようになる可能性が高いということかな」と苦笑いしていましたし、「これまで論文の校正も何度もしたことがあるんだけどなぁ」とも言ってました。まぁ、彼が納得行かない部分にはとりあえずコメントをつけてもらい、何とか。なぜかメールに添付したファイルが消えていて、私のCDライターもしばらく使っていないうちに壊れたのか5枚やってみたけどダメで、夫が顧客の会計データを全部削除てメモリースティックを貸してくれたのに、Cのコンピュータが作動しなくて。。。「自分でタイプしてね」とボソッと言われました。

翻訳も、英語の原文を見てウダウダ言うネイティブがいるんですョ。「こんなのはこの分野の専門の人間じゃないと翻訳なんてできない」とか。でもねー、その分野の一番の専門家というのが依頼人ご本人ということもよくあるんですよ。自分ができないから「だったら英語の専門の人に訳してもらおう」となるわけで、その「英語の専門の人」が私のような人間で、要は能力のシェアなんですね。

それから、「表現がまわりくどい」とか「いい英語ではない」とか原稿にケチをつける人。論文などは、おそらく依頼人は大学教授とか、知識階級と呼ばれる人たちで、英語だって全然できないわけではないと思うんですね。簡単な英語ならご自分で訳せるでしょうし、訳さなくても意味が分かるレベルでしょう。だから、そんな簡単なものは翻訳者には回って来ないんです。私たちに原稿を選ぶ権利はなく、原稿に自分の英語能力を合わせていかなければならないのだと思います。

Cのような校正者も大事ですね。言っておきますが、文章が不完全だから校正者にお願いするんです。これは日英でも英日でも同じです。おかしいところがあると思うから頼む。それと、校正する回数だけそして校正者の人数だけ直し方があることになります。自分の文章だって見直す度にどこか直したいところが出て来ます。他人の文章を直すのだから、これは大変だと思います。

毎日大量に翻訳をすると、1枚にかけられる時間は限られていますから、分からないところはとりあえず直訳で乗り切ってまず全部訳すことを目標にします。訳し終わってさえいれば、いつでも納品できますし、事情を話せば翻訳会社側で校正者を手配してくれることもあります。(もちろん校正者がいる会社もありますし、第一次校正、第二次校正と数回校正をするところもあります。)これも、ある意味、能力のシェアです。

明日もがんばります!

PS: クライストチャーチでの地震の後、いろいろな方々からメールやお電話をいただきました。お一人お一人にお返事したいところですが、このような状況ですのでご理解ください。ご心配いただき、ありがとうございました。行方不明のみなさんが無事に救出されることをお祈り申し上げます。