3月27日~4月3日、妹一家が母を連れてやって来ました。
前に来たのは14年前。長男のTがまだ2歳ちょっとの時でした。本当は、東日本大地震の2週間後に来る予定だったのですが、パスポートも航空券も家に置いたまま避難することになってしまい、また、母がくも膜下出血で倒れたため、3年遅れてしまいました。くも膜下出血から脳梗塞、水頭症となり、要支援となった母ですが、以前より意欲的になり、元気に空港に現れました。
「インターネット中毒で」と聞かされていた子供たちですが、放射能のためになかなか外で遊べず、交通量の多いところに住んでいるため必然的に家の中で過ごすことになっていたところもあり、こちらに着いた途端に走り回っていました。夫に「海に行こう!」とせがみ、着いたその日から海へ。
階段を登ることができない母は義父母の家に甥のTとお世話になることになりました。元々社交的な母はさっそくリビングのテーブルに座り、義父母にも座るように合図。お互いにお互いの言語は話せませんから、頼りになるのはお兄ちゃん。電子辞書を持ち出し、義父母も紙とペンを用意し、最低レベルの意思疎通は可能になり、一緒にお茶を飲んだり。いきなりにぎやかになりました。
その日の夜中に長女と次女が帰宅し、28日はみんなでSheep Worldに行きました。
29日には半日ボートをチャーターし、夫と次女、義弟とT、義父母の6人で釣りへ。
17匹の魚を釣り、晩御飯は夫がおろした鯛のお刺身でした!
30日は宿題をし、31日にSky Towerへ。夫の前に富岡町で英語指導助手をしていたKimと再会しました。(Kim, thank you very much for coming to see us at Sky Tower in short notice. It meant a lot for my mother to see you again.)
さすがの母も連続の外出で疲れ、足が上がらなくなってしまい、ベッドとベッドの間に落ちてしまいました。それで、4月1日は一休みして荷物を送ったりすることにし、子供たちは夕方に夫と山歩きに行きました。(母の足のマッサージに来てくださった恭子さん、ありがとうございました。)
2日は母が元気になったのに上の女の子二人が起きないので、二人を家に置いてファンガレイのキウィ・ハウスに行きました。午後は二人も一緒にチョコレート工場に行き、お小遣いで買ったチョコレートを私にも分けてくれました。
3日は朝4時半に家を出て空港に向かいましたが、途中でお兄ちゃんが電子辞書とサイフを入れたバッグを忘れたことが分かり、夫が取りに戻るというアクシデントがありました。「ベッドに戻っても眠れないから」と義父が掃除をし始め、バッグを持って出て来てくれて大助かり。
次に会えるのはいつになるでしょうか。。。事情を理解してくださった各翻訳会社様、本当にありがとうございました。お陰様で、4月8日の腹腔鏡による診断手術も無事終わり、私も順調に回復しています。来週ぐらいからまた仕事を始められればと思っております。
う~ん。。。来年は次女も大学生になってしまうので、夫と二人で行けるようにがんばろうかな。