昨日、妹から連絡がありました。
私の実家はご存知のように福島県の富岡町です。これまではだれに話しても分からないような町でしたが、今回の原発事故で一気に存在を知られることになった私の生まれ育った田舎町。左の写真は、海に犬を連れて散歩に行った時、夫が撮った福島第二原発です。日付は1992年3月7日。こんなに近かったんですねね。
先月、妹たちが現在移り住んでいる郡山に行った時、小中学校の校庭の表土を数センチ削るという作業が行われていました。表土の放射能値が高く、数センチ取り除くだけでかなり違うという理由からでしたが、問題はその処理でした。結局、だれも放射能あびあびの土など自分たちの周りに移動されては困るということで、表土を取り除いた学校の校庭の隅に、青いビニールシートを被せたまま置いてありました。
どうやら、福島第一原発がある大熊町と第二原発がある富岡町がそのような放射能まみれのガラクタや土などの置き場となるようなのです。確かに、今はだれも人がいないので、そのようなものを移動するのには一番簡単な方法だとは思うのですが、それは同時に町民が戻れないことを意味します。
だから、2年前に建てた家のローンも支払わなくてよくなるだろうとのことで、国の方針が決まって賠償金が入ったら、新しく土地を買って家を建てたいと言っていました。母のリハビリも順調に進んでいて、麻痺していた足の指も動かせるようになり、自分でベッドから起きられるようになってますので、数ヶ月後に退院する頃までは何か決まっているといいなと思います。でも、とりあえず、今年いっぱいは今借りている家を町に借り上げしてもらいましたので狭いですけど何とかなります。
本当は、もう実家に帰れないのかと思うと気が遠くなってしまいそうですが、反抗してもどうしようもないですしね。毎日学校まで歩いて通った道やお世話になったおばちゃんたちの顔がまるで昨日のことのように目に浮かびます。夫と出会っていろいろなところを歩きました。すべてが過去のものとなってしまい、何を考えたらいいのか分かりません。
今週の土曜日、妹夫婦も一時帰宅をします。犬がそこにいないことを願っていると妹が言ってました。