コンテンツへスキップ

東日本大地震の爪痕

「S先生があなたのメールアドレスを教えてほしいんだってさ」と同級生のT君からメールがあった。

S先生は双葉高等学校で私の担任の先生だった。英語の先生で、この先生がいなかったら今の私はなかっただろうと思うほどお世話になった。

部活の先輩の影響で英語に興味を持ち始めた頃、S先生が図書館の前でイギリス人の女性と話をしていたのを見て、自分もいつかあんな風にペラペラと英語が話せるようになりたいと思った。私が母を説得してアメリカに2週間だけ行くことになった時には遠いところからわざわざうちまで来て励ましてくださった(「だれにも言うな」と言われたけど、もう退職されたし、いいよね)。高校を卒業したら就職するものと教えられて育った私に大学に行くことを勧めてくれ、母を説得してくれた。退職されてからはコーラスをされ、富岡町のコーラスのピアノの伴奏をしていた妹と何度か会っていたし、お電話もいただいていたようだ。

私が英会話学校を開いた時、S先生も来てくださった。「私もあなたのような英語を話せるようになるのが夢だったのよ」とおっしゃった。何度も何度も「うらやましいわ~」「いいわねぇ~」とニコニコとご自分のことのように喜んでくださり、「私は教師だから、あなたのように私を踏み台にしてそれ以上に成長してくれる人を育てられてうれしい」ともおっしゃっていた。いつもキビキビとして爽やかな印象だったS先生。そのS先生が、今は福島市にお住まいなのだそうだけど、精神的にまいっていらっしゃるとのこと。

東日本大地震が起きてもうすぐ11ヶ月。もうそんなになるのかと思う。でも、本当に大変なのはこれからだ。郵便の転送サービスも1年で終わるらしい。そのうち、いろいろな補助金も減らされるのだろう。見知らぬ土地で不安なまま老後を過ごすことを余儀なくされた人たちがS先生以外にもたくさんいらっしゃる。

自分も津波でご両親を亡くしたのに「オレ、明日会ってくるからさ」とS先生のことまで心配しているT君。私も近くにいたら一緒に行きたいけど、先生の頭が衰えないようにメールで助けることぐらいしかできない。でも、それでよかったら、今度は私がお手伝いする番だし、喜んでお返事するからね、先生。今度日本に行ったらお会いしたい。