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母が退院しました

東日本大地震の後、両方の原発の10km圏内ということで避難し、その3日目に避難先の体育館で脳動脈破裂を起こして入院し、私が見舞いに行った時には脳梗塞の後に受けた最初の水頭症のシャント手術が失敗し、2回目の手術を受けたばかりだった母ですが、23日に無事退院しました。昨日、電話で話をしましたが、ことばもはっきりしていて相変わらずジョークの連発で大丈夫なことが確認できてうれしかったです。

どうやら、私が日本にいた3週間は妹のところに泊まっていたと思わず、ニュージーランドから通っていたのだと思ったそうです!だから、「しばらく会えなくなる」と伝えた時、「あー、金がなくなったんだな」と思ったらしいです(笑)。先日、妹から私の夫に母がお小遣いとして2万円を送るという話を聞いた時に「そんなの要らないから自分で使いなよ」と言ったのですが、それに対しては「お前な、だんなは3週間も一人でいたんだろう?さみしかったと思うよ。それでもお前を日本に出してくれただんなにばーちゃんが感謝してるっていうことで、2万円な。ビールでも買ってやれ」と。母は5メートル歩くと血圧が上がるので普段は車椅子ですけど、そんな風になってもまだ自分はお金をあげる立場でいたいんでしょうね。「脚は相変わらずだけどな、口だけは大丈夫だ!」と大威張りでした。

しかしですね、母も「若い看護士がなー、『お尻が痛い』と言うとすぐに飛んできて拭いてくれるんだよ。『こんなばあさんのお尻を拭かされてかわいそうになー』って別の看護婦に言ったら『年齢性別に関係なく順番で仕事をするんですよ』だと。エラいもんだよ」とかなり感動していましたけど、介護をしてくれる人たちってホントに素晴らしいです。母は脳梗塞のためにことばが出なくなっていただけで、ほとんどの状況を把握していて、「言語訓練なんてバカらしくて、『やりたくない!』って言ったらそのねぇちゃん、2ヶ月来なかったヮ」と言ってました。右手は多少麻痺があるものの、文字を書いたりはできるようになったようですし、「バカ!」とか言われながらも母のワガママに付き合ってくれてここまでにしてくれた医師などの病院のスタッフに感謝です。

妹一家は先週、犬が飼えるバリアフリーの家を見つけて引っ越したばかりです。子供たちの小学校からはちょっと遠くなるのですが、近くても放射能が怖いから車で送迎するとのことなのでそのまま転校はさせないようです。川内村に避難していたお子さんに内部被爆が見つかったそうですし、まだまだ安心はできないようです。

来週は2回目の一時帰宅です。